ヘッドハンティングで入社したが非人間的な即日解雇


 千葉市に住むSさん(当時50歳)は、2000(平成12)年1月、ヘッドハンティングされ、好条件(年収1000万以上、自由に使える専用自家用車・携帯電話貸与、定年ナシ等)で君津市にあるIT関連のC社に、近い将来に社長にするという約束の下で入社しました。

 それまで、SさんはN社の東京支社の支社長代理を勤めていました。N社は国内に17営業拠点を有する資本金3億円・従業員600名強のIT関連の大企業でした。

 Sさんは、サラリーマン人生の最後の職場として、「小さくても良い、自分の実力が認められ、それに見合った収入が得られれば・・・」と決心し、それまでN社で築き上げた地位や実績を捨ててC社に転職したのです。

 Sさんが入社した時のC社は、従業員が9名、資本金1000万、年間売上2億円程度の創立3年目の中小企業で、売上増が最大の課題だったのです。

 入社早々から、Sさんは前職の人脈をバックに大きな実績を上げていきました。
売上は、毎年毎年倍々に増え、従業員も急激に増えました。入社4年後には売上10億円、従業員30名以上に成長していました。Sさんの年収も実績を認められ1500万を超えていました。

 ところが、入社2年目に、些細なことが原因で、社長夫妻との信頼関係が崩れてしまったのです。

 ある来客者の「どちらが社長なのか判りませんね・・・」の一言が原因でした。

 Sさんと社長の体格や風貌を比較して冗談に発した言葉だったのですが、社長夫妻にとっては、たまらない屈辱だったのです。

 社長夫妻は、「会社の成績」よりも「Sさんの追放」を決定しました。
その理由としては、
  @従業員が成長し、市場も築けたので、Sさんの役目は終了した。
  A更なる不況の深刻化が予想されるため、高給取りのリストラが必要であった。
などが予想されました。

 社長夫妻の基本方針は「会社が困った時は、いつでも社員を首にすれば良い」というものだったのです。まさに非人間的な利己主義でした。
 Sさんの場合も「最初からの計画的な犯行であった」と言えるのではないでしょうか?

 それからの2年間、Sさんは「追放のイジメや嫌がらせ」との闘いでした。
社長夫妻は、Sさんの「自主退職」を迫って、いろいろな手段を駆使しました。
Sさんはそれに屈することなく働き続けました。

 いっこうに自主退職をしそうも無いSさんに、社長夫妻は業を煮やし強硬手段に出たのです。
2004(平成16)年7月5日、普段どおりに出社したSさんは、朝一番で社長に会議室に呼ばれました。

 Sさんは、「何の話だろう?。」「営業成績も上がっているし特別ボーナスでも出してくれるのかな?」なんて考えながら会議室に入ったのです。
 しかし、そこで待っていたものは「即日解雇」の申し渡しだったのです。Sさんは目の前が真っ暗になりました。

 解雇理由の一つに
「社有車・携帯電話・Eメールやインターネットを私的興味を満足させる目的で使用した」
というものがありました。

 やり手Sさんには人脈が多かったので、当面の仕事に関係の無い人、お客様の接待を考えた時の飲み屋のママ、女の子へのメールなど、人脈を維持するためのメールや電話が4年間の内に千数百通に上っていました。このことを社長夫妻は「すべて私的もの!」と主張したのです。勿論、すべて仕事でした。

 当然、解雇に納得できないSさんは、「交運労」に相談し、司法の場に訴えました。
会社は、次々と「解雇理由」を作り出して対抗してきましたが、2004(平成16)年12月27日、裁判所の「和解勧告」を受入れ、「高額な金銭解決」という結果で「勝利」を勝ち取ることができました。

 この勝利に対して、Sさんは、
 「一人だったら裁判など出来なかった。」
 「交運労の助けが有ったからこそ勝利することができた。」
 「有難う御座いました。」
と語っていました。

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